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Matthew Kimani
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Japanese to English: From the Perspective of Women's History
General field: Social Sciences
Detailed field: History
Source text - Japanese
女性史研究の立場から
高群逸枝


-目次
-
+学問の自由1
+史観の革新2
+わが女性史3
+研究の意義4

学問の自由1

 日本歴史の新しい検討ということがもとめられている。女性史の一研究者として、私はこの際若干の感想をのべてみたい。わが国の歴史研究が狭く浅く、政治史にかたよっている点は、すでに多くの人からいわれてきたとおりであるが、敗戦を機会にそれらのことはむろん反省せられねばならない。
 根本の問題は学問の自由、真理の探求であるが、学者がつねに政治的制圧をうけることはまぬがれえない。
 私の経験からいえば、女性史なども、なにか社会や男性に反抗する危険思想ででもあるかのように思われがちで、ずいぶん不愉快な圧迫や俗見とも戦わねばならなかった。
 私は、昭和十三年に、足かけ八年の労作になる女性史第一巻を「母系制の研究」として世に出した。この題目など、とくに、現行家族制の父系思想からみて、好ましくない印象をもたれたことも、うなずけないことではない。私は江戸時代の儒者たちが、天照大神の男性説を唱えねばならなかった心持がいまだに残って学問研究を妨げているのを残念に思う。
 上梓に際し、出版書肆からは、わざわざ当局の注意事項が伝達された。それはかなり非常識なものであった。
 学問の自由について、なお一つ付け加えたいことは、歴史家自身についてである。わが国の歴史家には、独立心がとぼしく、研究の方法のごときも、とかく外来の史学や方法論をそのまま尺度としようとし、みずからそれを生み出そうとはしない場合が多いといわれる。したがって演繹的、説明的な態度が多くとられ、帰納的、実証的な方法は一般に欠けているという。このことは自省されねばならないと思う。

史観の革新2

 女性史は、まったく新しい分野を開拓するものであって、この研究が進められて行けば、当然従来の史観の誤謬を訂正する部分も多いはずである。
 私もこの研究に専念するようになって、まだ十五、六年ぐらいにしかならないけれども、それについて気づいている事例はすくなくない。私は第一巻「母系制の研究」を出してから、第二巻「招婿婚の研究」に没頭し、まだ成稿の運びにいたっていないが、この招婿婚の問題にしても、考えさせられることが多い。
 招婿婚の語は、一般に学術語化しているから、私も便宜上用いるわけであるが、語義からいえば、matrilocal marriage(母所婚)か、わが古語の妻問(ツマドヒ)とするのが正しいであろう。もっともわが国では、同様式のものを時代によって「妻問」と「婿取」(ムコトリ)とに呼び分けている。すなわち妻問(またはヨバヒ)の語は、「記紀」「風土記」「万葉」「伊勢」等にまで見え、それ以後の「源氏」「栄華」等から、終焉期の「徒然草」等にかけては「婿取」とかわっている。
 これには理由があるのであって、前者は原則として夫婦別居の時代で、文字通り夫が妻を問う―モルガンの対偶婚に似た―婚姻の時代である。後者は妻家を起点としての一夫一婦的同居の原則が樹立された時代であるが、これを社会経済史的にみるならば、前者は原則的にいって氏族共有を反映しており、後者は荘園私有に基礎している。
 つまり招婿婚は、国初以前から室町におよぶ長期間継続した著名な現象であるが、その内面に母系族制から父系のそれへの完全移行を、きわめて秩序正しく具体的に裏づけているのである。
 くわしいことは、拙著にゆずるほかないが、とまれこうした事実があきらかになれば、家族制も爾余の制度とおなじく発展的なものであり、俗間に、「わが固有の家族制度」などと現行家族制に固定性、永遠性を付与していることの虚妄も消散するであろう。
 まして、従来のわが歴史家たちが、招婿婚を特殊の小現象と片づけたり、好ましくない習俗と見なして、故意に不問に付すようなことをあえてしていた非学問的な態度も是正されるであろう。
 見て見ぬふりをしたり、ことさらに軽視したりすることをやめて、なにごとも謙虚に、学問の対象としてとりあげ、さらにそれを人類史的関係にまで引きあげ、普遍化することにこそ、学者の本領はあるべきであろう。
 アメリカの社会学者モルガンが、微々たるハワイの一習俗に、人類の始原社会を想定し、革新的史観を樹立したことなど学ぶべきであろうと思う。

わが女性史3

 わが国の女性史には、以上に述べたような族制と関連して、一つの大なる特徴があるのではないかと私はおもう。
 スペンサーによれば、女性史の概念は、圧迫からの解放史として理解されており、これはだいたい父系に開幕するヨーロッパ諸国の歴史においては、そのとおりであるとされるが、わが国では、有史以後長期間女性の地位は高いものがあり、中世において低く、現代においてふたたび解放されつつあるという三つの段階がみられる。
 これは、モルガン等の母系説の示唆によって社会学者らの主張する史前社会における女性の高地位説に照応するものであり、つまりそれらの史前社会が、わが国では有史以後長期間にわたって遺存していたことを物語るものである。
 すなわち、前に述べたように、母系族制がその懐中で漸次父系のそれを発展確立せしめながらも、なお組織的に根幹をなしていたことの中に、わが上代女性の高地位の理由は求められるであろう。
 この点で、スペンサーの学説は我には当たらない。しかるに、スペンサーの学説をそのままわが国にあてはめて、漫然わが古代女性の低地位説を唱え、男尊女卑思想を正当化する滑稽をあえてしているものが多い。
 もっとも、これらのひとびとも、わが古典にあらわれた女性の地位の高さを、全然無視することはできないが、天照大神を男性化すると同じ考え方で、「景行紀」や中国の「魏志」などに見えるわが女性酋長のことなどでも、局部的な変態として片づけるといった具合いであって、まったく学者的な良心を喪っているのである。
 中国史中に、日本の官名を「たま」というと見えているところの国魂時代に、女性国魂が存在していただろうことは、「伊勢風土記」の神武事跡中に見え、崇神以後大化にいたる国造時代には、女性国造があったことも、「古事記」や「播磨風土記」等に徴せられる。
 これらの俗は永く地方に伝統し、鎌倉時代の地頭制に、女性地頭が、「吾妻鏡」などに多く見えているのも、その遺存の一例であろうとおもう。
 また、女性の高地位と恋愛の自由とは伴うものである。中国の「閨」や、ギリシャの「女部屋」のように、女性圧迫は貞操の監禁からはじまるのであるが、「記紀」はもちろん「万葉」や平安文学などにみても、恋愛の自由の一般的なものであることを否定はできまい。
 夫婦観も平等であり、たがいに相手を「つま」(はし)―すなわち半身とよびあい、一体観に立っている。したがってその貞操も相互的で、紐を結び合うことであらわしており、一方的強要はない。中世以後の夫婦観の主従的であること、貞操の一方的強要、恋愛の不自由―すなわち、女性の低地位とあきらかに区別ができる。
 江戸時代の儒者たちは、上代の男女関係を目して、口をきわめて淫乱、醜悪とののしっているが、江戸文化そのものはどうかといえば、すべてが売色的であり、いわゆる公娼制がさかり、巷には醜業婦があふれている状態である。ここには色情はあるが、恋愛はない。戯作文学と「万葉」とを一瞥しただけでもすぐわかることであって、いずれが醜悪であるかはもはや論外であろう。
 女性の高地位はまたその文化面においても立証せられる。私たちは平安時代に、日本文学の双璧たる「枕」「源氏」をもっている。また仮名国史「栄華」をもっている。これらの高い著作は、はたして彼女ら個人の特異的才能にのみ帰せらるべきものであろうか。
 すでに、最古の古典たる「古事記」が、稗田阿礼なる女性の誦習にもとづくらしいことをも、私たちは知っている。彼女はおそらく一国文化の建設ないし保存を担当した女性語り部の一人であったと思う。
 かかる伝統があってこそ、のちに仮名文字の造出を契機として、一時に百花繚乱たる姿を現じたのである。
 しかし、世のいわゆる国文学解説者は、この一連の伝統を知らざるかのごとく、訓詁註釈にのみ熱心なること比々然りである。
 とくに、もう一つ女性的観点から付け加えていいたいことは、この女性文学の本質が母心母愛に根拠し、事物を愛情の目で見る偉大な「物のあはれ」的世界観を確立していることである。たとえば、人事の推移にたいする温かな達観、自然や子供や小鳥等にたいする独特の見方等、それはたくさんあげられると思う。
 昔から婦人の間には「見直し聞直し」といって、悪いとされることをも善く見直し、醜聞として伝わってくることをも聞き直すようにする―というように、すべてに愛の母心が強調されている。「物のあはれ」的世界観にしても、ひっきょうここから生まれたのであり、この観点に立って、あらためて再検討するならば、この問題は、過去の、また同時に将来の「女性文化のありかた」というような示唆をすら含まないだろうか。

研究の意義4

 私はこの稿の最初に、母系制の研究がわが国に歓迎されない理由として、現行家族制との抵触をあげたが、女性の生活はこの制度から大いなる制約を現在受けており、この制度の支持者は、女性の隷属的地位を固定化、合理化するために、その家父長制をもって、原初からの固有のものであるときめてしまっている。「母系制の研究」もつまりこれを批判するものを内蔵するがゆえに忌避せられるのであるが、かれらが原初に家父制度を仮定している根拠には二つある。一はわが古代における父系系譜の存在、他は一夫多妻現象である。
 しかし、古代の父系系譜は、いわば酋長相続の便宜から起こっているもので(これは詳説を要するが)、モルガンにおけるイロクォイ族の世襲酋長に接続する形態であり、したがってわが古代族長の権限は、ほとんどイロクォイの場合に似たものである。
 また、わが一夫多妻の現象は、ローマ、中国等のように、一夫のもとに多妻およびその所生族が同居従属しているものではなく、一人の男子が各家の女性を妻問し、その妻や所生は各家に分散して所属しているもので、夫および父には依存しない。したがって父系はあり得ても、家父長の実体はあり得ない。
 また、中国などの家父長制をみれば、その親族組織は親等的で、その内部に幾つかの夫婦と子の小家族を擁しているが、わが古代にあっては、祖子(オヤコ)、妹背(イモセ)、兄弟(エオト)等の類別的親族組織で、その内部に包含しているのは、親母(イロハ)、親兄(イロセ)、親姉(イロネ)、親弟(イロト)、親妹(イロモ)等の母子の小家族であって、この小家族が父を欠いていることは、親父(イロチ)という語がまったく古語中に見当たらないことでわかるのである。
 つぎに、もう一つ例を加えよう。中国やローマの家父長制では、家族的祭祀を執行するものは男性であって、女性は与らないのである。しかるに、わが国では、氏の祭祀にも、氏の連合たる国の祭祀にも、すべて宗家の女性がこれに当たった。これは、伊勢や賀茂に歴代の皇女が斎宮であったのを見てもわかると思う。氏では、尾張氏の熱田社の祭司宮簀姫、物部氏の石上社の祭司伊香色謎なども数えられよう。くだっては「権記」長保二年の条に、藤原道長がその女彰子の立后宣旨を請う理由として、藤原氏の氏祭は氏后によって行なわれるのであるが、現在の氏后定子皇后は出家により司祭ができないから、道長が氏の長者として代わって司っているが、それは神旨にそむくことであろう。そこで女御彰子に后位の宣旨を請うて司祭を掌らしめたいといっているのがみえる。
 この俗は、室町時代におよぶも遺存しており、近衛政家の「後法興院記」によれば、同家の霊祠には、代々の嫡女が「御霊所」または「奥御所」とよばれて奉仕している。民家でも同じであって、お袋という言葉があるが、これは母または本家の刀自をさすが、語義は祭司を意味する。
 戦国時代頃から、民衆が自己防衛のために宮座―つまり、従来からあった村落共同体の氏子組織を強化したが、この頃になると、さすがに時代色を反映して、男性祭祀が前面に出てきたが、仔細にみると、なおどこかに遺存していることも多い。
 こうしたわが女性祭祀の圧倒的な現象は、決していうところの家父長社会のものではあり得ないと思われる。
 以上の二三の例からいっても、女性史研究の意義はひろくみとめられてよいものであり、ねがわくは同学者の輩出参加によって、新史学建設に寄与したいと思う。
〈一九四六年〉
Translation - English
From the Perspective of Women’s History Research
Takamure Itsue
Table of Contents
Academic Freedom
A Revolution in Views of History
Our Women’s History
The Significance of Women’s History

Academic Freedom
A re-examination of Japanese history is in order. I would like to take this opportunity to provide some brief reflections as a researcher in women’s history. As many have stated before, historical research in Japan is narrow, shallow, and skewed in favor of political history. There is no doubt that we must use defeat as an opportunity to reflect on these issues.
The fundamental question is that of academic freedom and the pursuit of truth. Scholars cannot escape political suppression.
In my experience, women’s and other kinds of history have tended to be thought of as forms of dangerous thought that seek to rebel against men and society. I have had to struggle against quite unpleasant forms of oppression and vulgar opinion.
In the thirteenth year of the Shōwa era (1938 AD), after about eight years of hard work, I published the first volume of my history of women, Studies in Matriliny. I cannot deny that the title, among other things, carried a negative impression, particularly from the standpoint of the patrilineal thought of the family system of that time. It is unfortunate that the sentiments that prompted Confucian scholars of the Edo period to argue that Amaterasu Ōmikami was a man are still with us and continue to impede scholarly research.
It is outrageous that, upon publication, the authorities went to the trouble of sending me a list of precautions through my publisher.
One last point that I would like to add concerning academic freedom relates to historians themselves. It has been said that many historians of our country lack a spirit of independence and, even with regard to research methods, uncritically adopt foreign historiography and methodology without attempting to create any themselves. As a consequence, deductive and explanatory attitudes are common, while inductive and positivist methods are generally lacking. This requires reflection.
A Revolution in Views of History
Women’s history constitutes the attempt to develop a wholly new field of study. It is naturally expected that, as research progresses, it will correct many errors in past historical views.
I have only been committed to this field for the past fifteen or sixteen years, but more than a few examples of that sort have come to my attention. Since the publication of my first volume, Studies in Matriliny, I have been immersed in the second, Studies in Uxorilocal Marriage. The manuscript is not yet complete, but the question of uxorilocal marriage is also quite thought-provoking.
Because uxorilocal marriage has become cemented as academic terminology, I use it for the sake of convenience, but from the standpoint of the literal meaning of the word, either matrilocal marriage (boshokon) or the classical term, duolocalism (tsumadoi), would be more correct. However, in Japan, practices of the same form are called duolocalism (tsumadoi) or taking in the groom (mukotori) depending on the era. That is, duolocalism (or nocturnal visitation [yobai]) is found in texts from the Record of Ancient Matters (Kojiki), the Chronicles of Japan (Nihon Shoki), the regional gazetteers (Fudoki), the Collection of Ten Thousand Leaves (Man’yōshū), up through the Tales of Ise (Ise Monogatari), and is thenceforth replaced by taking in the groom (mukotori) from The Tale of Genji (Genji Monogatari), A Tale of Flowering Fortunes (Eiga Monogatari) and so on up through Essays in Idleness (Tsurezuregusa) and so on in its final phase.
There is a reason for this. The former term refers principally to the era of marital separation and the era of marriage which the husband would - much like Morgan’s pairing syndyasmian - literally visit the wife. The latter belongs to the era in which the principle of monogamous cohabitation with the wife’s home as the center had been established. When seen from the perspective of the history of political economy, the former principally reflects clan communal ownership, and the latter is based on manorial private ownership.
That is, uxorilocal marriage is a prominent phenomenon that persisted over a long period from prior to the establishment of the country until the Muromachi period, and underlying this is the total transition from the matrilineal family system to the patrilineal.
The details will have to be left to my forthcoming work, but in any case as these facts become clear, it will also become clear that the family system is, like other systems, developmental, and the myths contained in such slogans as “our particular family system” that bestow the present family system with its fixity and eternity in the public mind will also disappear.
Indeed, the unscholarly attitudes that have led the historians of our country to dispose of uxorilocal marriage as a special and limited phenomenon, to view it as an undesirable custom, and to deliberately ignore it will also be corrected.
It is surely the duty of scholars to cease to ignore and especially to scorn uxorilocal marriage, but to instead to humbly take it up as an object of scholarship and, further, to raise it to the level of human historical relations and universalize it.
We must learn from Morgan, the American sociologist who, using the customs of little Hawaii, imagined mankind’s primitive society and established a revolutionary historical point of view.
Our Women’s History
There is, in connection with the aforementioned family systems, a major characteristic of women’s history in Japan.
According to Spencer, women’s history is to be understood as the history of liberation from oppression. While this may be the case in the history of Europe, which begins with patriliny, in Japan, three stages can be discerned. During a long period after the beginning of history, the social position of women was high. In the medieval period, it was low, and in modern times women are once again beginning to be liberated.
This accords with the theory of women’s high social position in prehistoric society postulated by sociologists in line with the matrilineal theory suggested by Morgan and others, and attests to the fact that what was there prehistoric society remained extant in Japan for an extended period following the beginning of history.
That is, as I have mentioned before, the reason for the high social position of women in our ancient history is to be sought in the fact that the matrilineal family system continued to serve as the basis of the patrilineal system even while developing and securing it within itself.
In this respect, I think that Spencer’s theory is incorrect. However, many have uncritically applied his theories to Japan, recklessly argued that the status of women was low in our antiquity, and, comically, even attempted to justify the denigration of women on that basis.
Nevertheless, even they cannot completely ignore the high position of the women that appear in our classical literature. With the same mindset that has led others to turn Amaterasu Ōmikami into a man, they treat the female chieftains and other figures that appear in the section devoted to Emperor Keikō in the Chronicles of Japan, the description of the people of Wa in the Book of Wei in the Chronicles of the Three Kingdoms (Wajingishiden), as well as in other texts, as a local aberration, and have completely lost their scholarly conscience.
In Chinese histories, we find that there was an era of spiritual chieftains (kunidamashī), when “spirit” (tama) was a name of office. That female spiritual chieftains likely existed in this era can be seen in the sections on Emperor Jinmu in the Ise Gazetteer (Ise Fudoki), and the fact that there were female clan chieftains (kuninomiyatsuko) in the age of clan chieftains from Emperor Sujin until the Taika Reform is proven by the Record of Ancient Matters and the Harima Gazetteer (Harima Fudoki).
These customs were for a long time passed down in the provinces. The fact that female estate stewards can be found under the Kamakura system of estate stewardship in the Eastern Mirror (Azuma Kagami) is also an example of their retention.
Further, free love goes together with women’s high position. Just as with China’s women’s bedchambers (gui/kei/neya) and the women’s quarters of Ancient Greece, the oppression of women begins with the confinement of chastity, but, whether one looks at the Record of Ancient Matters, the Chronicles of Japan, the Collection of Ten Thousand Leaves, or Heian literature, it is undeniable that free love was a generalized phenomenon.
Spouses were regarded as equals. Each called the other tsuma (side) - that is, each called the other one’s half and regarded themselves as a single body. Consequently, their chastity was mutual, expressed by the tying of a cord, and was not unilaterally coerced. A clear distinction can be drawn between this and the medieval and later views of spouses as master and servant, the unilateral coercion of chastity, and the lack of free love - in other words, the low position of women.
Confucian scholars of the Edo period derided relations between the sexes in antiquity as filthy and base in their language. But the culture of the Edo period was full of harlotry. Licensed prostitution flourished and the streets abounded with streetwalkers. Here there is lust, but no love. As the briefest examination of Edo-period popular literature and the Collection of Ten Thousand Leaves should serve to make clear, there can be no debate over which is the baser.
The high position of women can also be demonstrated in the sphere of culture. In the Heian period, we have the twin stars of Japanese literature, The Tale of Genji and The Pillow Book (Makura no Sōshi). We also have the Japanese-language national history, A Tale of Flowering Fortunes. Can these towering works be attributed solely to the particular genius of their individual authors?
We already know that the oldest of the classics, the Record of Ancient Matters, is said to have been based on the recitations of Hieda no Are. It is likely that she is one of the court bardesses who oversaw the establishment and preservation of our national culture.
It is precisely because of this tradition that, with the later invention of the syllabary, it was able to flourish.
However, the so-called interpreters of our national literature have one and all, as if ignorant of this tradition, been intent solely on exegesis and commentary.
In particular, one more thing from a woman’s perspective that I would like to add is that the essence of this female literature is based on motherly affection, and establishes a great and pathetic (mono no aware teki) worldview in which all things are viewed through the lens of love. For instance, many examples can be given in the vein of warm philosophical views of the vicissitudes of human fortunes, as well as particular views of nature, children, birds, and so on.
For ages it has been said among women to “look again and listen again,” that is, to view as good what seems bad, and to take as good what comes across as foul rumor. In this way is motherly affection emphasized in all things. The pathetic worldview was, in the last analysis, born of this sentiment. When one takes this position and reexamines things, does this question not contain hints concerning the past and, at the same time, the future of “the state of women’s culture?”
The Significance of Women’s History
At the beginning of this article, I offered its conflict with the present family system as the reason why studies of matriliny have not been welcomed in Japan. Women’s lives are at present greatly constrained by this system, and its supporters have, in order to rationalize and cement the subordinate position of women, made the contemporary patriarchal system into a primordial particularity of our country. Studies in Matriliny has been poorly received because it contains a critique of this idea. Their claim that patriarchy existed at the beginning of our history rests on two pieces of evidence. One is the existence of patrilineal genealogical records in antiquity, and the other is polygyny.
However, these patrilineal genealogical records arose out of convenience for the purposes of chieftainal succession (which requires more detailed explanation), and is connected in form with the Iroquois hereditary chieftainship described by Morgan. The powers of the patriarchs of Japanese antiquity are therefore largely similar to those of the Iroquois.
Further, Japanese polygyny was not like that of Rome, China, and other places, where several wives and their families cohabited with and were subordinate to a single husband. One man would visit the women of various houses, and his wives and their relatives were spread out over and subordinate to each house, without them being dependent on either their husband or their father. Therefore, even if patriliny was possible, patriarchy was not.
Further, if one were to consider patriarchal systems in China and elsewhere, kinship organizations are consanguineous, with a number of families consisting of spouses and their children contained in each. In Japanese antiquity, there were classificatory kinship organizations such as parent and child (oyako), husband and wife (imose), elder and younger sibling (eoto), within which were contained the mother’s immediate family consisting of the mother (iroha), the elder brother (irose), the elder sister (irone), the younger brother (iroto), and the younger sister (iromo). We know that these families lacked fathers by the fact that no word for father (irochi) can be found anywhere in the classical language.
Next, let us give one more example. In the patriarchal systems of places like China and Rome, men, not women, carry out familial rites. However, in Japan, the women of the head house led the rites of both their clans and the provinces, which were themselves amalgams of clans. The fact that Imperial Princesses served as heads of Ise and Kamo Shrines should also serve to make this clear, and, regarding clans, one might give the examples of Princess Miyazu, the priestess of the Owari Clan’s Atta Shrine, and Ikagashikome, the priestess of the Monobe Clan’s Isonokami Shrine. Later on, in an entry from the second year of the Chōhō era (1000 AD) in The Diary of Fujiwara no Yukinari (Gonki), Fujiwara no Michinaga gives as the reason behind his request that his daughter, Shōshi, be made Empress, the fact that the rites of the Fujiwara Clan are carried out by a clan princess, but that, since the present clan princess, Empress Teishi, had taken the tonsure and was no longer able to perform the rites, Michinaga, as the head of the clan, had been leading the rites in her stead, which was in violation of the will of the gods. It is clear that he requested an Imperial Edict making Lady Shōshi Empress in order to have her lead the clan rites.
This custom remained extant up through the Muromachi period. According to Konoe Masaie’s The Diary of Konoe Masaie (Gohōkōinki), generations of first-born daughters were called Goreisho and Okugosho and served in the family shrines. The same was true of commoner houses. The word “ofukuro” now refers to one’s mother or the lady of the house, but its original meaning is “priestess.”
From about the Warring States Period, the common people began strengthening the miyaza, that is, the village community’s parishioner organizations. At about this time, and in reflection of the period, priests came to the fore, but upon closer examination, prior customs continued to exist in many places.
This overwhelming phenomenon of priestesses would be absolutely unthinkable under the patriarchal society they describe.
From the few examples given above, the significance of women’s history should be recognized. It is my hope that, with the appearance and participation of many more women’s historians, we will be able to contribute to the creation of a new history.
(1946)

Arabic to English: Islam and Modernity
General field: Social Sciences
Detailed field: Religion
Source text - Arabic
مواكبة الإسلام للحداثة
لكن هل يستطيع الإسلام مواكبة الحياة المعاصرة؟ فشموليته قد تكون نافعة لزمن التنزيل, ومع وجود المتغيرات التي تزيد عن 1400 سنة, هل يعقل تطبيق ما كان يصلح في الزمن الماضي للوقت الحاضر؟
يسهل اجواب إذا عرفنا الثابت المتغير في الإسلام. فقد اعتمد الإسلام على قواعد وأحكام ثابتة لها علاقة بفطرة الإنسان وطبيعة تكوينه, وتنسجم مع متغيرات الزمان. فالصلاة عبادة لصقل النفس الإنسانية في أي زمان كانت, والصوم تقوية للإرادة من أجل الإخلاص تمهيداً للتقوى حتى يستقيم المرء في حياته, والزواج مطلوب لإرواء العزيزة وإعمار الكون ضمن ثوابت تحمي النسل الأسرة والعلاقات الرحمية, والظلم مرفوض سواء أتى من ملك أو إمبراطور أو حاكم أو قائد زعيم عشيرة أو منتخب من الشعب, والعدل مطلوب من الفرد والمجتمع, والمحافظة على الأخلاق الفاضلة أساس لاستقرار وراحة المجتمع الإنساني.
إن المتتبع للأحكام الإسلامية الثابتة في كلياتها أو جزئياتها, يلاحظ انطباقها على الإنسان كفرد, بما يلائم مصلحته, بصرف النظر عن المكان والزمان.
أما المتغيَر فكثير جداً, ويعالج الاجتهاد المفتوح في الشريعة كل متطلبات الحداثة, ويجيب عن الأسئلة والحوادث الواقعة, ويعيد النظر بما مضى من اجتهادات, ويأخذ الظروف المستجدة وأحكامها بعين الاعتبار, ما يوجد متسعاً لمواكبة التطور والمتغيرات.
فقد وضع الإسلام قواعد للحاكم الصالح, لكنه ترك المجال مفتوحاً لشكل إدارة الدولة, فانتخاب الرئيس يمكن أن يكون مباشراً من الشعب أو من مجلس النواب أو بالتمثيل النسبي. وترك كيفية تشكيل الحكومة سواء بوجودها أو بعدد أعضائها أو توزيع وظائفها أو الصلاحيات الممنوحة لها, كما لم يتدخل في طريقة تشكيلها بالاختيار لكل فرد من أفرادها في مجلس النواب أو بالاختيار الجماعي أو بأي شكل آخر, ليفسح في المجال أمام الاختيارات المتناسبة مع كل زمان.
ورسم قواعد النظام التربوي في واجب المعلَم والمتعلَم, ومسؤولية الأهل والمجتمع في تنشئة الأجيال, لكنه ترك المجال واسعاً لعملية التنسيق والتنظيم والإدارة بما يتلاءم مع كل عصر, فسواء أكان التعليم تحت الصنوبرة أو في المسجد أو في المدرسة أو في أبنية متنقلة, أو كان من خلال الكتاب أو الفيلم أو الكمبيوتر أو الأنترنت, فهذه من المسائل التي تعتبر في دائرة الاختيار المشروع لتحقيق الأهداف.
Translation - English
Islam and Modernity
But is Islam compatible with contemporary life? Its comprehensiveness may have been effective for the time of the revelation, but, with the presence of changes exceeding 1400 years, does it make sense to apply to the present what was appropriate in the past?
The answers are easy if we know what has remained constant and what has changed in Islam. Islam has relied on firm principles and rules that bear a relation to the instincts of man and the nature of his creation and are in harmony with the changes of time. Prayer is a form of worship that polishes the human mind in any age, and fasting strengthens the will for devotion in order to facilitate piety in order that man lead a proper life. And marriage is necessary for sating one’s wife and populating the world on sound bases that preserve one’s descendants, one’s family, and one’s kinship relations. Oppression is rejected regardless of whether it comes from a king, an emperor, a ruler, a leader, the head of a tribe, or a popular representative. Justice is required from the individual and society, and the preservation of sound morals is a basis for the ease and stability of human society.
He who follows sound Islamic rules, whether in part or in their entirety, will notice their applicability to man as an individual as befits his interests regardless of time or place.
Regarding changes, there have been many. Open ijtihad in the shari’ah deals with all the requirements of modernity, answers real questions and events, gives consideration to prior ijtihad and takes into account recent conditions and judgements concerning them, such that it is broad enough to accompany development and change.
Islam has set down rules for good rulers, but it left the field open regarding the form of state administration. The election of the president may be directly from the people, or from the House of Representatives, or by proportional representation. It also left open the means by which the government is to be formed, its whereabouts, the number of its members, the distribution of its appointments, and the powers granted to it. It likewise does not interfere with the means of its formation, whether each individual appointee is to be chosen from the House of Representatives, by popular election, or any other means, in order to open up space for decisions appropriate to each time.
Islam has sketched the rules of an educational system in the obligations of the teacher and the taught and the responsibility of the people and society for the raising of each generation. But it has left space wide open for the process of arrangement, organization, and management, such as is appropriate for each age. For whether education takes place beneath the pines, or in a masjid, or in a school, or in mobile structures, or by means of the book, or film, or the computer, or the internet, all these things are considered to be within the sphere of choice permitted for the accomplishment of one’s aims.
Japanese to English: Generational Compatibility in Pokemon Games
General field: Other
Detailed field: Games / Video Games / Gaming / Casino
Source text - Japanese
本シリーズに共通しているゲームシステムを述べる。
特に本シリーズを代表する要素である、育成・対戦・通信といったものを中心に解説する。
最初のバージョンである『赤・緑』以来、現在まで共通する要素として、一部のスピンアウト作品を除き、ゲームの開始時にそれぞれ「みず」「ほのお」「くさ」のタイプ(世代によっては加えて他のタイプを併せ持つ)を持つ3匹のポケモンから1つを選択して始める。
特に、この最初の3匹のポケモンは「御三家」ともいわれる。
同一の世代に分類されるものは、ストーリー等は異なっていてもほぼ同一のゲームシステムであり、高い互換性を持つ。
たとえば、『ダイヤモンド・パール』と『ハートゴールド・ソウルシルバー』はストーリーや舞台は全く異なるが、互いに通信対戦や通信交換を行うことができる。
一方で、世代の異なる作品同士の互換性は低い。
第一世代と第二世代は、第一世代に登場するポケモンでかつ「ひでんマシン」技を除く第一世代の技のみを覚えている個体であれば双方向のポケモン移動が可能。
第二世代と第三世代では一切のデータの互換性がなくなった。
第三世代以降は後世代への一方向のポケモン移動が可能である。
データの互換性が低くなる理由は、世代が更新されるたびに新たなポケモン・わざ・アイテムなどが追加される為である。
逆に言えば、世代が更新されない限り新ポケモンや新アイテムが追加されることはない。
なお、一部例外はあり、例えば、「はっきんだま」は第四世代の途中(『プラチナ』)で新たに追加されたアイテムである。
そのため、このアイテムには「通信交換できない」等の特殊な制約がある。
同一世代であっても後で発売されたソフトで追加された道具・技・フォルムは先に発売されたソフトには転送できない場合がある。
なお、フォルムチェンジ等に関しては、多くの作品では古い側からは通常のフォルムで表示される。
Translation - English
We will now discuss the gameplay features that this series has in common.
We will focus particularly on the series's representative elements in our explanation, namely, training, battles, and communication.
From the first versions, Red and Green, and until the present, a common element of the series, with the exception of a few spin-offs, has been the selection of one from among three types of Pokemon - water, fire, and grass (some generations have included other types) - at the beginning of the game.
These first three Pokemon in particular are sometimes called "The Big Three."
Although games within a single generation may differ in their story and other elements, the basic game mechanics are the same, so there is a great deal of compatibility.
For example, "Diamond and Pearl" and "HeartGold and SoulSilver" differ entirely in story and setting, but each can engage in Wi-Fi battles and trades.
On the other hand, compatibility between games of different generations is low.
Pokemon that appear in the first generation and, with the exception of Hidden Machine moves, know only first generation moves, can travel between first and second generation games.
All data compatibility is lost between the second and third generations.
From the third generation onward, Pokemon from older generations can be transferred to games from subsequent generations.
Data compatibility is low because with each new generation, new Pokemon, moves, and items are added.
On the contrary, if there were no new generations there would be no addition of new items and Pokemon.
However, there are some exceptions. For instance, the Griseous Orb was added during the fourth generation (Platinum).
Because of that, the item has a number of special restrictions, e.g. it cannot be traded.
Even within the same generation, there are cases where it is not possible to transfer items, moves, and forms from later releases to earlier releases.
Moreover, Pokemon with different forms that are sent from an earlier release to a later release are often shown in their original forms.

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